多くの働く女性たちは常に男性社会との競争にさらされています。男女平等を唱えることや女性の社会進出というのは決して良い面ばかりではありません。女性には女性にしかできない役割があり、男性にも男性ならではの役割がある。
男性はどんなに頑張っても出産を経験することはできませんし、妊娠をすることもできません。新しい生命が宿るのは女性の子宮内であり、子宮を男性に移植することは今の医学ではできません。だから妊娠と出産は絶対に女性の役割であり、どんなに頑張っても男性がこの役割を女性に代わって引き受けることはできないのです。
だから女性の社会進出もいいんですが、それよりも女性がいかに安心して妊娠、出産、子育てができる環境を提供できる社会を作るか?の方が重要な気がする。
もっと視野を広げて考えれば男女だけで捉えなくとも、人間ひとりひとりにも役割があります。
私たちは教育される過程で社会性を身に付けてきましたが、それはその時代の人間が作った常識であり、常識は場所や時代を背景に変化を伴うもの。
社会性や道徳観を養うことは確かに他人との共通認識を生み、善悪を判断する基準になりますが、先ほどお話ししたように男女共に絶対的な役割があるように、個々の人間にも絶対的な役割がある。
皆がバラバラの役割を持つことで個々が提供できる役割に価値が生まれ、世の中が回るようにできている。
何が言いたいかと言うと、人間は男女平等とか常識とか社会性なんかは全部取っ払って、自分の好きなことや得意なことをやればいいと思うんです。もっとハッキリ言うと、自分の好きなことや得意なことだけをやっていれば絶対に上手く行くんです。
その役割はどんなにつまらないと思うことでもOK。どんな分野にでも必ず需要があり、それを必要としている人間がいる。好きなことだけをやっていればノイローゼになったり、ストレスで頭がハゲたりすることもないでしょう。
家を作る大工さん、建物を壊す解体屋さん、料理が得意な料理人、食べ歩きが大好きなグルメ、渾身の音楽を制作する音楽家、その音楽を聴いて励まされる音楽愛好家、体を売る女性、体を買う男性、今の日本では男の体を買う女性などなど・・・何時間でも需要と供給の対象が言い続けられます。
だから世の中には人の命を奪うこと以外に善悪は存在しないし、全ての価値は一定。
起きることの全ては必然だし、存在しているすべての人に意味がある。医者が偉い訳でもなく、浮浪者が悪ではない。
無理に常識とか社会性に従う必要はないし、もっともっと自分の好きなことをやればいい。
怖がる必要はない。
あなたのその理解不能な趣味にも、他人の誰かにとっては必ず絶対的な価値があります。
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